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千葉地方裁判所 昭和56年(行コ)13号 判決

千葉県市川市須和田二丁目三三番六号

亡永山栞訴訟承継人

原告

永山耕一郎

千葉県市川市須和田一丁目一六番二六号

亡永山栞訴訟承継人

原告

伊藤佳代

右両名訴訟代理人弁護士

島田種次

鈴木善和

千葉県市川市北方一丁目一一番一〇号

被告

市川税務署長

鹿野一郎

右指定代理人

藤宗和香

鮫田省吾

菊池敬明

富山斉

前崎善朗

丸山将利

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五五年三月六日付けで、永山栞(以下「亡永山」という。)の同五一年の総所得を金二七三一万六八〇〇円と更正した処分のうち金一五九一万六八〇〇円を超える金一一四〇万円及び同日付けでした過少申告加算税二九万八八〇〇円の賦課決定処分並びに同五六年三月一一日付けで、亡永山の同五二年分の総所得を金二〇六七万七五四八円と更正した処分のうち金一一〇八万七五八四円を超える金九五九万円及び同日付けでした過少申告加算税二二万四八〇〇円の賦課決定処分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、昭和五五年三月六日、亡永山の同五一年の総所得を金二七三一万六八〇〇円と更正する処分及び過少申告加算税二九万八八〇〇円の賦課決定処分(以下「五五年の更正処分及び賦課決定処分」又は併せて「五五年の処分」という。)を、同五六年三月一一日、亡永山の同五二年の総所得を金二〇六七万七五四八円と更正する処分(以下「五六年の更正処分」といい、五五年の更正処分と併せて「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税二二万四八〇〇円の賦課決定処分(以下「五六年の賦課決定処分」といい、五六年の更正処分と併せて「五六年の処分」といい、また五五年の賦課決定処分と併せて「本件賦課決定処分」という。また、本件更正処分と本件賦課決定処分と併せて「本件処分」という。)をなした。

2  亡永山は昭和六三年一二月四日死亡した。原告らは亡永山の相続人であり、本件訴訟を承継した。

3  五五年の更正処分のうち金一五九一万六八〇〇円を超える部分及び五六年の更正処分のうち金一一〇八万七五四八円を超える部分並びに本件賦課決定処分は、違法であるので取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1、2の事実は認める。

三  抗弁

1  本件処分の経緯

本件処分の経緯は、次の(一)及び(二)のとおりである。

(一) 五五年の処分

〈省略〉

(二) 五六年の処分

〈省略〉

2  本件処分の根拠

本件処分の根拠は、次の(一)ないし(四)のとおりである。

(一) 五五年の更正処分の根拠・適法性について

(1) 亡永山の昭和五一年分の総所得金額は、次表の順号〈4〉の「被告主張額」欄記載のとおり三〇九七万七七九九円であるから、この範囲内である二七三一万六八〇〇円を亡永山の同年分の総所得金額であるとした五五年の更正処分は適法である。

〈省略〉

(2) 各種所得の内訳

1  事業所得の金額 一二、一九四、〇〇〇円

確定申告額のとおりである。

2  給与所得の金額 三、七二二、八〇〇円

確定申告額のとおりである。

3  雑所得の金額 一五、〇六〇、九九九円

〈省略〉

〈1〉 総収入金額 二三、四二四、九九九円

被告別表(一)〈B〉欄記載の合計金額である。

右金額は、亡永山が中村光志(市川市奉免町四〇番地・ただし昭和五六年四月二六日以前の住所。以下、「中村」という。)に貸し付けた金員(被告別表(一)〈A〉欄記載のもの)に係る昭和五一年中の受取利息(月利〇・〇二五パーセント)の額である。

〈2〉 必要経費 八、三六四、〇〇〇円

被告別表(一)〈D〉欄記載の合計金額である。

右金額は、亡永山が前述の貸付けの原資に充てるため日本鍍研資材株式会社(本店・中央区日本橋馬喰町二丁目七番一一号。以下、「日本鍍研」という。)から借り入れた金員(被告別表(一)〈C〉欄記載のもの)に係る昭和五一年中の支払利息(月利〇・〇一二パーセント)の額である。

〈3〉 雑所得の金額 一五、〇六〇、九九九円

〈1〉総収入金額から〈2〉必要経費を控除した金額である(所得税法三五条二項)。

なお、以上の雑所得については、後記3で詳述する。

(二) 五五年の賦課決定処分の根拠・適法性について

亡永山は、前記のとおり昭和五一年分の所得税を過少に申告していたので、被告は、昭和五五年当時の国税通則法(以下「通則法」という。)六五条一項の規定に基づき、五五年の更正処分により納付すべき税額五九七万六〇〇〇円(右更正処分による納税額七九一万四五〇〇円から、原告の申告納税額一九三万八四〇〇円を控除した残余の額。ただし、通則法一一八条三項の規定による一〇〇〇円未満の端数切り捨て後のもの)に一〇〇分の五を乗じて計算した二九万八八〇〇円(ただし、通則法一一九条四項の規定による一〇〇円未満の端数切り捨て後のもの)の過少申告加算税の賦課決定を行つたものであるから適法である。

(三) 五六年の更正処分の根拠・適法性について

(1) 亡永山の昭和五二年分の総所得金額は、次表の順号〈4〉の「被告主張額」欄記載のとおり二六七〇万七五四八円であるから、この範囲内である二〇六七万七五四八円を亡永山の同年分の総所得金額とした五六年の更正処分は適法である。

〈省略〉

(2) 各種所得の内訳

1  事業所得の金額 四、九〇二、一〇〇円

〈省略〉

〈1〉 総収入金額 七、〇〇三、〇〇〇円

亡永山は、昭和五二年分の確定申告において、中村から得た三九〇万円の収入を弁護士報酬収入として事業所得に係る総収入金額に算入した。しかしながら、右金額は、亡永山の雑所得に係る総収入金額に算入すべき収入であると認められるので、右確定申告に係る事業所得の総収入金額一〇九〇万三〇〇〇円から右三九〇万円を減算した金額七〇〇万三〇〇〇円が亡永山の昭和五二年分事業所得の総収入金額になる。

〈2〉 必要経費 二、一〇〇、九〇〇円

亡永山が昭和五二年分確定申告において、計上した必要経費の額は、総収入金額に一〇〇分の三〇の割合を乗じて求めたものであり、被告においてもこれを援用し、右総収入金額七〇〇万三〇〇〇円を右割合一〇〇分の三〇を乗じて算出した金額二一〇万〇九〇〇円が必要経費の額になる。

〈3〉 事業所得の金額 四、九〇二、一〇〇円

〈1〉総収入金額から〈2〉必要経費を控除した金額である(所得税法二七条二項)。

2  給与所得の金額 三、四五五、四四八円

確定申告額のとおりである。

3  雑所得の金額 一八、三五〇、〇〇〇円

〈省略〉

〈1〉 総収入金額 二九、七五〇、〇〇〇円

被告別表(二)〈B〉欄記載の合計金額である。

右金額は、亡永山が前述の中村に対して貸付けた金員(被告別表(二)〈A〉欄記載のもの)に係る昭和五二年中の受取利息(月利〇・〇二五パーセント)の額である。

〈2〉 必要経費 一一、四〇〇、〇〇〇円

被告別表(二)〈D〉欄記載の合計金額である。

右金額は、亡永山が前述の貸付けの原資に充てるため日本鍍研から借り入れた金員(被告別表(二)〈C〉欄記載のもの)に係る昭和五二年中の支払利息(月利〇・〇一二パーセント)の額である。

〈3〉 雑所得の金額 一八、三五〇、〇〇〇円

〈1〉総収入金額から〈2〉必要経費を控除した金額である(所得税法三五条二項)。

なお、以上の雑所得については、後記3で詳述する。

(四) 五六年の賦課決定処分の根拠・適法性について

亡永山は、前記のとおり昭和五二年分の所得税を過少に申告していたので、被告は、通則法六五条一項の規定に基づき、本件更正処分により納付すべき税額四四九万七〇〇〇円(右更正処分による納税額五五五万九五〇〇円から、原告の申告納税額一〇六万二二〇〇円を控除した残余の額。ただし、通則法一一八条三項の規定による一〇〇〇円未満の端数切り捨て後のもの)に一〇〇分の五を乗じて計算した二二万四八〇〇円(ただし、通則法一一九条四項の規定による一〇〇円未満の端数切り捨て後のもの)の過少申告加算税の賦課決定を行つたものであるから適法である。

3  雑所得について

(一) 亡永山は、東京都中央区日本橋馬喰町二丁目七番一一号鍍研ビル内に法律事務所を設け、弁護士を業とし、昭和二五年四月一〇日から同五三年一二月二二日までの間、日本鍍研の代表取締役の地位にもあつて、同社から役員報酬を得ていた。

同社は、株主が亡永山の妻永山スギ、同長男永山耕一郎、同長女伊藤佳代の三名のみからなる同族会社(法人税法二条一〇号)であつて、実質的には、亡永山が支配する法人で、その主たる業務は、鍍金材料、研磨材料の卸売り及び不動産売買等である。

(二) 亡永山は、中村に対し、自己資金で、昭和五〇年七月ころに五〇〇万円、同年八月ころに五〇〇万円、同年一〇月ころに一〇〇〇万円、後記(三)のとおり日本鍍研から原資を借り入れた上、同年一一月一日に二〇〇〇万円、同月二九日に一〇〇〇万円、同五一年四月一日に二〇〇〇万円、同年五月一日に二〇〇〇万円、同年九月三〇日に一〇〇〇万円、同年一一月一日に六〇〇〇万円、同月一〇日に一〇〇〇万円、同五二年二月一日に一〇〇〇万円を、利息月二分五厘で弁済期は定めずに、それぞれ貸し付けた(以下「本件貸付金」という。)。

そして、昭和五〇年一一月一日に貸し付けた二〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円については同五一年九月二九日に、その余の一〇〇〇万円、同五〇年一一月二九日に貸し付けた一〇〇〇万円、同五一年四月一日に貸し付けた二〇〇〇万円、同五一年五月一日に貸し付けた二〇〇〇万円及び同五一年九月三〇日に貸し付けた一〇〇〇万円については同五一年一〇月三〇日にそれぞれ弁済を受け、その結果、本件貸付金の各月の残額は、昭和五一年一月ないし三月は各五〇〇〇万円、同年四月七〇〇〇万円、同年五月ないし同五二年一月各九〇〇〇万円、同年二月ないし一二月は一億円であつた(被告別表(一)、(二)の各〈A〉。このうち、右金額からそれぞれ二〇〇〇万円を減じた金額が、原資を日本鍍研から借り入れて貸し付けた分の各月の残額である。被告別表(一)。(二)の各〈C〉)。

(三) 亡永山は、日本鍍研から、中村に対する貸付金の原資として、昭和五〇年一一月一日に二〇〇〇万円、同月二九日に一〇〇〇万円、同五一年四月一日に二〇〇〇万円、同年五月一日に二〇〇〇万円、同年九月三〇日に一〇〇〇万円、同年一一月一日に六〇〇〇万円、同月一〇日に一〇〇〇万円、同五二年二月一日に一〇〇〇万円を、利息月一分二厘、弁済期は定めずに借り受けた(前記(二)のとおり、このうち昭和五〇年一一月一日に貸し付けた二〇〇〇万円のうち一〇〇〇万円については同五一年九月二九日に、その余の一〇〇〇万円については同五一年九月二九日に、その余の一〇〇〇万円、同五〇年一一月二九日に貸し付けた一〇〇〇万円、同五一年四月一日に貸し付けた二〇〇〇万円、同五一年五月一日に貸し付けた二〇〇〇万円及び同五一年九月三〇日に貸し付けた一〇〇〇万円については同五一年一〇月三〇日に中村から弁済を受けて弁済をした。)。

(四) 亡永山は、中村から、本件貸付金の利息として、昭和五一年一月ないし三月に各一二五万円、同年四月に175万、同年五月ないし一〇月に各二二五万円、同年一一月に二一七万四九九九円、同年一二月、同五二年一月に各二二五万円、同年二月ないし一二月に各二五〇万円を受け取つた(以下、「本件受取利息」という。被告別表(一)、(二)の各〈B〉)。

(五) 亡永山は、日本鍍研に対し、本件貸付金の原資の利息として、昭和五一年一月ないし三月に各三六万円、同年四月に六〇万円、同年五月ないし一〇月に各八四万円、同年一一月に八〇万四〇〇〇円、同年一二月、同五二年一月に各八四万円、同年二月ないし一二月に各九六万円を支払つた(以下「本件支払利息」という。被告別表(一)、(二)の各〈D〉)。

(六) 原告らは、本件貸付金のうち、二〇〇〇万円については、長年にわたり親交のあつた尾瀬テル(以下「尾瀬」という。)が、その余については日本鍍研が、それぞれ中村に貸し付けたものであつて(以下、前者の二〇〇〇万円を「個人貸し」、被告のその余を「会社貸し」という。)、亡永山はその仲介をしたに過ぎない旨述べる。

しかし、まず個人貸しについては、尾瀬の実在自体不明であり、また尾瀬が実在するとしても、金銭消費貸借においては相手方を知ることが基本的な成約上の要請と考えられるにもかかわらず、原告らの主張によると尾瀬と中村の間には終始亡永山が介在し、両者は面識のないまま終わつたというのであり、また尾瀬が利息も定めず担保も徴さず返済期限も定めずに老後の資金を貸し渡したというのであれば、尾瀬が貸し渡した相手方は親交の深い亡永山であり、尾瀬は亡永山の中村に対する個人貸しの原資を提供した金主にすぎないとみるべきである。したがつて個人貸しについての中村に対する貸主は亡永山である。

次に、会社貸しについては、中村は帳簿上右個人貸しと区別することなく貸主ほ「永山」と記載し、日本鍍研から別途受けている融資につき「日本鍍研」と記載しているのとは区別している。また、日本鍍研においては、貸付に関しては一切を亡永山が取り仕切り、帳簿上の処理についても、亡永山の一方的な指示により意のままに操作されていたものであつて、その記載内容の貸付先を判断する根拠とはならない。さらに、亡永山は、日本鍍研に対する昭和四九年一一月から同五二年一〇月までの事業年度の法人税調査の際、調査担当者に対し、本件受取利息のうち、日本鍍研に対する本件支払利息を除く分はすべて亡永山個人の収入である旨、また他にも亡永山個人で金貸しをしている旨申し立てたことや、亡永山が日本鍍研の金を原資として知人に対し自ら金融を行いながら、同社帳簿上は同社と知人間の直接取引として処理していた事実もあり、これらの事実を総合すると、会社貸しについても貸主は亡永山個人であつて、日本鍍研は亡永山が行う金融の資金源にすぎない。

ところで、亡永山が昭和五二年度において、中村から弁護士報酬として受領したとして事業所得として申告している三九〇万円は、右受取利息の一部であつて、弁護士である亡永山の本来の業務に関連して授受されたものではないから、受領したあとで亡永山がそれをいかなる用途に供しようとも、雑所得の一部であつて事業所得ではない。

(七) 以上のとおり、本件貸付金は、亡永山が中村に対し自己の責任と計算において貸し付けたところの亡永山に帰属する貸付金であり、また、本件受取利息は、本件貸付金の使用の対価として支払われ、亡永山の専断と計算で支配管理されているものであるから、亡永山に帰属する収入であり、また弁護士である亡永山の本来の業務にかかる事業所得ではないので、その金額は亡永山の雑所得にかかる総収入金額を構成する。

また、亡永山はその帳簿において、昭和五一年一一月分ないし同五二年二月分の入金がなかつた旨記載し、同年一一月分、一二月分は何らの記載をしていないけれども、右期間中に日本鍍研に対する支払利息の授受がなされ、かつ元本が残存する以上、他の期間と同様に、貸付金額に月二分五厘を乗じて算出した金額に相当する受取利息収入があつたものと推認するのが自然かつ合理的である。よつて、被告は、右計算方法に基づき、右期間中の受取利息額を認定し、これを亡永山の雑収入にかかる総収入金額に算入したものである。

したがつて、その金額は、雑収入は昭和五一年度は二三四二万四九九九円、同五二年度は二九七五万円、必要経費は同五一年度は八三六万四〇〇〇円、同五二年度は一一四〇万円であり、雑所得は、昭和五一年一月ないし三月は各八九万円、同年四月は一一五万円、同年五月ないし一〇月は各一四一万円、同年一一月は一三七万〇九九九円、同年一二月、同五二年一月は各一四一万円、同年二月ないし一二月は各一五四万円であり(被告別表(一)、(二)の各〈E〉)、合計で昭和五一年度は一五〇六万〇九九九円、同五二年度は一八三五万円となる。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2の(一)のうち、事業所得の金額、給与所得の金額は認め、雑所得の金額は否認する。否認についての理由は同3に対する認否反論のところで詳述する。

同2の(三)の事業所得の金額のうち中村分は否認し、その余は認める。給与所得の金額は認める。雑所得の金額は否認する。否認についての理由は同3に対する認否反論のところで詳述する。

同2の(二)、(四)は争う。

3  同3について

(一) (一)のうち、亡永山が鍍研ビル内に法律事務所を設けて弁護士を業としていること、昭和二五年四月一〇日から同五三年一二月二二日までの間、相当長期間日本鍍研の代表取締役の地位にあつて同社から役員報酬を得ていたこと(ただし、右期間中引き続いてその地位にあつたことは否認する。)同社の主たる業務は鍍金材料、研磨材料の卸売であり、同社は同族会社で亡永山が代表取締役就任中は亡永山が実質的に支配していたことは認め、同社が不動産売買を業としていること、亡永山が取締役退任後も同社を実質的に支配していることは否認する。

(二) (二)については、亡永山が中村に本件貸付金を貸し付けたとの点は否認する。

本件貸付金のうち二〇〇〇万円の個人貸しについては、亡永山は、数十年来法律問題の相談に乗る等してその亡夫ともども親しく交際していた知人の前記尾瀬から、老後の備えに貯めておいた二〇〇〇万円の金員を尾瀬の子供達には内緒で運用して欲しいと任され、ちようど亡永山が親しく交際していた中村の父中村識や義父川崎元吉から中村に営業資金を融資してやつてほしいと頼まれていたので、尾瀬の右金員を中村に対して貸し付けることとしたものであつて、亡永山は尾瀬から中村に対する貸付けの仲介をしたに過ぎない。

また、会社貸しは、亡永山は中村からさらに融資の依頼を受けたので、日本鍍研から貸し付ければ同社も銀行からの借り入れ利息と中村に対する貸し付け利息との差益を得られると考え、日本鍍研から中村に対し、その父中村識を保証人とし、かつ担保を徴して貸付けたものであつて、亡永山は日本鍍研の代表取締役として行動したに過ぎない。

本件貸付金の貸付日及び金額については、これが尾瀬及び日本鍍研から中村に対して貸し付けられたものであるならば、昭和五二年二月一日の一〇〇〇万円は否認し、その余は明らかに争わず、中村の各弁済日及び金額についても明らかに争わず、貸付金残額については、昭和五一年中のものは認め、同五二年中のものは否認する(原告ら別表(一)、(二)の各〈1〉、〈2〉、〈3〉。)。ただし、被告主張の金額が預り金(その趣旨については後述する。)の算出基準額の意味であれば、昭和五二年一一月及び同年一二月分を除き、これを認める。

(三) (三)の日本鍍研から亡永山が本件貸付金の原資を借り入れたとの事実は否認する。同社から中村に対する貸付金との趣旨であれば、その日及び金額に対する認否は前記(二)と同じである。また、中村の各弁済の事実は前記(二)と同じであり、日本鍍研から中村に対する貸付金の残額については、これが会社貸しに対する預り金算出基準額の意味であれば、昭和五二年一一月分及び同年一二月分を除き、これを認める(原告ら別表(一)、(二)の各〈1〉)。

(四) (四)の亡永山が中村から受け取つた金員が本件貸付金の利息であるとの点は否認する。亡永山は、中村に対し、個人貸し及び会社貸しを世話するに際し、どの程度の運用益を生じるか尋ねたところ、中村は月二分五厘と回答したため、亡永山は中村からその趣旨を特定することなく、預り金として、本件貸付金の二分五厘にあたる金員を毎月受領した。右預り金から、亡永山は、後記五再抗弁において述べるとおり、個人貸しの元本二〇〇〇万円を尾瀬に対して弁済し、その余を日本鍍研に対する月一分二厘の支払利息に充てたところ、残金は三八九万九三四〇円となり、亡永山は中村から昭和五〇年一〇月に鈴木興一対中村の千葉地裁佐倉支部同五〇年(ワ)第七二号事件(訴訟物価格一〇〇〇万円)及び同五二年一月に大久保正雄対中村の千葉地裁同五一年(ワ)第七六四号事件(訴訟物価格九〇〇〇万円)の訴訟委任を受け、これらの弁護士手数料は、東京弁護士会の報酬規定によれば五〇〇万円を下らないので(前者の事件については七〇万円、後者の事件については三六〇万円となる。)、亡永山は中村に告げてこの残金を右手数料に充当することとし、端数を切り上げて三九〇万円を同五二年分の事業所得として確定申告したものである。

金員の趣旨を特定しなかつた理由は、当初から受取利息とすると、中村の営業がオイルシヨツク後の不況下における風俗営業であり、倒産して元本の取り立てが困難或は不可能となるおそれがあるにもかかわらず、その受取利息に対してその年分の所得として課税されることとなり、一方当初から元本の弁済金とすれば、弁護士費用等の債務の支払いに流用できなくなるからである。

金額については、預り金算出額としては、昭和五二年一一月分及び一二月分を除き認める。ただし、昭和五一年一一月、同年一二月、同五二年一月、同年二月、同年一一月、同年一二月分については、中村からの入金があつたとする被告の主張は否認する(原告ら別表(一)、(二)の各〈6〉、〈7〉)。

(五) (五)の金額が、亡永山の必要経費であるとの点は否認する。

右金額が、会社貸しに対する預り金算出額の意味であれば、昭和五二年一一月分及び一二月分を除き、これを認める。

昭和五一年一一月、同年一二月、同五二年一月、同年二月分についてはその月に中村からの預り金の入金がなかつたので、亡永山は手元にあるそれまでの預り金の中から立替払いした(原告ら別表(一)、(二)の各〈8〉、〈11〉)。

(六) (六)は否認する。本件貸付金の貸主についての原告らの主張は、前記(二)、(三)のとおりである。また、被告は会社貸しについて亡永山が融資事務を行つていたことを理由の一つにあげているが、日本鍍研は本件貸付業務をしていないので、社員が一〇数名足らずである同社としては、融資事務は代表取締役である亡永山が行う以外になかつたのである。なお、被告の主張はその多くを本件処分の正当化を望む本件処分関係者及び被告関係者らにより作成された聴取書に頼つているが、このような文書の証明力には限界がある。

また、昭和五二年度の中村についての事業所得については、前記(四)のとおりである。

(七) 本件受取利息が亡永山の雑収入であり、本件支払利息は必要経費であり、その差額が亡永山の雑所得となるとの被告の主張は否認する。本件受取利息及び支払利息の各金額に対する認否は、前記(四)、(五)のとおりである。被告は現実の金員の授受のない月についても憶測により金額を加算しているが、何の根拠もない。被告主張の雑所得の金額については、右金額が、原告主張の預り金の意味であれば、昭和五一年一一月、同年一二月、同五二年一月、同年二月、同年一一月、同年一二月分については〇円であり、その余は認める(原告ら別表(一)、(二)の各〈10〉、〈12〉)。

五  再抗弁

1  仮に個人貸しについて、この貸し主が亡永山であるとしても、亡永山と中村間には利息の約定がなく、亡永山は預り金をすべてその元本等に充当したので、雑所得は発生していない。

すなわち、亡永山は預り金が昭和五一年末及び同五二年一〇月にそれぞれ一〇〇〇万円に達したので、中村に対しこれを個人貸しの元本に充当する旨連絡して個人貸しを終了せしめた。

また、亡永山は、預り金の中から、会社貸しにかかる本件支払利息の立替払いとして三四四万四〇〇〇円(中村が日本鍍研に支払うべき昭和五一年一一月分八〇万四〇〇〇円、同年一二月分八四万円、同五二年一月分八四万円及び同年二月分九六万円の各利息金を支払わなかつたので、原告が日本鍍研に立替えて支払つた合計額)を、さらにその残額三八九万九三四〇円を、前記四の3の(四)のとおり、中村から受任した訴訟事件の手数料に充当した。

したがつて、雑所得は発生しない。

2  仮に、個人貸しにかかる預り金が受取利息であるとしても、利息制限法の制限を超過する部分の利息は、中村に告げて元本に充当されたから、別紙原告ら別表(三)(元本充当表)のとおり、雑所得として認定されるべき受取利息の金額は、昭和五一年は二〇〇万八四六八円、同五二年は四七万一〇五四円である。最高裁判例により、利息制限法違反の利息について、制限超過部分は無効であり、元本に充当すべきであるということが確立されているので、当事者間で元本充当の経理をするかどうかにかかわらず客観的には元本充当がなされたことになる。また、昭和四八年六月二一日最高裁判例を受けて改正された国税庁の所得税通達三六-八の五は、納税者の元本充当を当事者間の合意の有無にかかわらず債務者の一方的申請を認め、さらにその申請時期を異議決定の時期まで延長している。右通達は、既収利息については元本充当を認めないとしているが、本件のように元本のみを回収した事案では、仮に回収した金員が利息と認定されるとしても、判例及び通達の趣旨からして元本充当を認めるべきである。したがつて、前記の利息制限法所定内の受取利息のみが雑所得金額となるので、右金額を超える部分の所得金額は取消されるべきである。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1の事実は否認する。原告ら主張の預り金は、前記三で主張したとおり、運用益も考慮のうえ亡永山が決定した本件貸付金の使用の対価であつて中村にもその旨告げてあり、亡永山が専断管理しているものであるから、本件貸付金の利息とみるべきである。したがつて、亡永山がこれを受け取つたあとでいかなる用途に振り向けようとも、充当の問題は生じない。

また、一般に、債務者の営業状態が不安定であれば、利息を先取りして元本を残しておくのが債権者にとつて利益であるのに、原告らの主張は常識に反している。

さらに、昭和五四年五月二一日、亡永山と中村とは個人貸しの元本の残額を二〇〇〇万円であると確認した上で、そのうちの一〇〇〇万円を、中村がマサ子(中村の義妹川崎真砂子のことである。)に対して有していた債権と相殺処理しており、右元本は昭和五四年一月一日現在残存しているのであつて、充当はなされていない。

2  同2の事実は否認する。亡永山は、中村に対し充当の意思表示を行つておらず、本件受取利息受領後も従前どおりの元本が存在するものとして月二分五厘で利息の計算を行い、また収受している。つまり、亡永山は、本件更正処分を受けた後、課税を免れることを意図して、はじめて元本充当の計算を主張したものであり、その内容も不正確であつて、元本充当の実体はなかつたものである。

また、利息制限法に違反する利息であつても、制限超過部分を元本に充当されたものとして処理することなく、依然として従前どおりの元本が残存するものとして取り扱つている以上、制限超過部分を含めて現実に収受された利息の全部が貸主の所得を構成する(最判昭和四六年一一月九日民集二五巻八号一一二〇頁)。

したがつて、原告らの主張は失当である。

第三証拠

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因事実については当事者間に争いがない。

二  抗弁について

(争いのない事実)

1  抗弁1(本件処分の経緯)については、当事者間に争いがない。

2  抗弁2(本件処分の根拠及び適法性)のうち、

(一)の五五年の更正処分のうち、事業所得、給与所得、(三)の五六年の更正処分のうち、事業所得(ただし、中村に関する金員を除く。)、給与所得については当事者間に争いがない。

3  抗弁3(雑所得について)のうち、

(一)の亡永山が鍍研ビル内に法律事務所を設けて弁護士を業としていたこと、昭和二五年四月一〇日から同五三年一二月二二日までの間、相当長期間日本鍍研の代表取締役の地位にあつて同社から役員報酬を得ていたこと、同社の主たる業務は鍍金材料、研磨材料の卸売であり、同社は同族会社で亡永山が代表取締役就任中は亡永山が実質的に支配していたことは当事者間に争いがなく、(二)の本件貸付金の貸付日及び金額のうち昭和五二年二月一日の分一〇〇〇万円を除いた部分は明らかに争わないので自白したものとみなし、貸付金残額については同五一年中のものについては争いがなく(原告ら主張の預り金算出基準額としては、同五二年一一月、一二月分以外の部分については争いがない。)、(三)の貸付日及び金額のうち昭和五二年二月一日の分一〇〇〇万円を除いた部分については明らかに争わないので自白したものとみなし、その残額については原告ら主張の会社貸しにかかる預り金算出基準額としては同五二年一一月、一二月分を除いた部分については当事者間に争いがなく、(四)の金額については原告ら主張の預り金算出額としては昭和五二年一一月、一二月分を除いた部分については当事者間に争いがなく、(五)の金額については原告ら主張の会社貸しに対する預り金算出額としては昭和五二年一一月、一二月分を除いた部分については当事者間に争いがなく、(七)の雑所得の金額については原告ら主張の預り金としては昭和五一年一一月、同年一二月、同五二年一月、同年二月、同年一一月、同年一二月分を除いた部分については当事者間に争いがない。

(本件の争点について)

本件の争点は、本件貸付金の貸主は亡永山であるのか、それとも尾瀬及び日本鍍研であるかという点と、中村から亡永山に渡された本件受取利息は、同人の雑所得として課税されるべき受取利息であるのか原告ら主張の預り金であるのかという点及び雑所得とした場合その具体額はいくらであるかという点であるので、以下、これらの点について検討する。

1  本件貸付金の貸主の特定及び受取利息の趣旨について

成立に争いのない甲第四号証の一ないし三、第七号証の一ないし八、第二三号証、乙第八、九号証、原本の存在及び成立に争いのない甲第一七号証の二、乙第一号証、第三号証の二、第一一号証(第一一号証については、二枚目「此のメモ」以下四行の記載部分を除く。)、第一五号証、原告本人尋問の結果(訴訟承継前、以下、亡永山栞の尋問の結果を単に「原告本人尋問の結果」という。)真正に成立したものと認められる甲第三、五、六、八、一六、一八、二二、二四、二五、三二号証(第二四号証のうち印鑑登録証明書二通を除くその余の原本の存在及び第二五号証については原本の存在とも、但し、右印鑑登録証明書二通の原本の存在及び第五、六、二二号証の官署作成部分の成立は争いがない。)、原告本人尋問の結果及び証人中塚五郎の証言により原本の存在及び成立が認められる甲第一七号証の一、証人一杉昇及び同中塚五郎の各証言により真正に成立したものと認められる乙第四号証の一、第七号証の一、二(原本の存在とも)、証人黒河重視及び同一杉昇の各証言により真正に成立したものと認められる乙第五号証、証人中塚五郎の証言により原本の存在及び成立が認められる乙第四号証の二、原告本人尋問の結果及び前記各証言並びに前記争いのない事実を総合すると次の(一)ないし(四)のとおりであり、これを前提にすると、本件貸付金の貸主は、個人貸し、会社貸しともに亡永山であり、本件受取利息は、原告ら主張の預り金ではなく亡永山の雑所得として課税されるべき受取利息であると認めるのが相当である。

(一) 亡永山は、昭和二五年四月から同五三年一二月に、長男の原告永山耕一郎に代わるまで、日本鍍研の代表取締役専務(慣行的な呼称は社長)であつた。同社は鍍金材料の仕入販売を業としており、不動産転売や貸金は本来の業務ではない。同社は亡永山及びその家族で構成する同族会社である。

亡永山は、昭和四五、六年ころ、亡永山が市川市の代理人として土地紛争を解決した際に、川崎と知り合つた。川崎は、いわゆる侠客(伝統的なタイプのやくざ)であつて、亡永山は、川崎の人格に深く感銘を覚え、以来親しく交際するようになつた。中村は川崎の娘清子の夫であり、バー、クラブ等の経営を行い商売上の浮沈は激しかつた。亡永山は、昭和四六、七年ころから、川崎から、中村が高利の借金で困つているので金を貸して助けてやつて欲しいと依頼されて、当初は断つていたが、川崎が決して迷惑はかけないと言つて熱心に要請するので、ついに金を貸してやることにした。

そこで亡永山は、何十年来その亡夫を通じて懇意にしていた尾瀬から、右貸付金の原資を借り受けた上(亡永山と尾瀬との間では、金の使い道や利息に関する明確な話し合いはなかつた。)、中村に対し、昭和五〇年七月ころ五〇〇万円、同八月ころ五〇〇万円、同年一〇月ころ一〇〇〇万円を貸し付けた。これが個人貸しである。中村は自己の営業及び借り替え等から月二分五厘程度の余剰が出ると言つたので、利息は月二分五厘とすることにした。そして、亡永山は、中村から、昭和五〇年七月、八月に各一二万五〇〇〇円、同年九月、一〇月に各二五万円の利息を受け取つた(右貸付日及び金額については前記のとおり明らかに争いがない。なお、当事者双方とも右個人貸しについて明確な貸付日の主張立証がないが、乙第三号証の二(亡永山が市川税務署に提出した資料)における右貸付金の各月の残額及び受取利息額の記載から鑑みて昭和五〇年七月の貸付金は同月一日、同八月の貸付金は同月三一日、同一〇月の貸付金は同月三一日と認める。原告らは、個人貸しは尾瀬から中村に対して貸し付けたものであつて亡永山は仲介しただけであると主張するが、原告本人尋問においても中村と尾瀬とは一切面識がないまま終始した旨の供述があつて両者の間に消費貸借関係が存在したとするには不自然であり、本件全証拠をもつても、前記認定を覆すに足りる証拠はない。)。

(二) そして中村は、昭和五〇年の一〇月か一一月ころ、亡永山に対し、さらに融資の要請をした。そこで亡永山は、今度は日本鍍研から原資を借り入れて中村に貸し付けることとした。亡永山が貸し付けを決意したのは、中村自身は商売も不安定で資産もなかつたが、実父の中村識及び義父の川崎らが不動産を有し、信用があつたからである(亡永山は当初は中村識の、やがて川崎及び川崎浩平所有の不動産に日本鍍研名義の根抵当権等の担保物件を設定した。)。

これが会社貸しであるが、日本鍍研では、亡永山の他は経理担当者である総務部長の黒田俊雄も内容がわからず、ただ亡永山の指示に従つて帳簿に記載するのみであつた。また中村は、本件貸付金については亡永山個人から融資を受けたとの認識を持ち、自己の帳簿上借入金を個人貸しと会社貸しとに区別して二段書に記載しているが、そのいずれも貸主を亡永山個人の分として記載している(乙第四号証の二、第七号証の一、二)。そして右のように会社貸しと個人貸しとは一行の中に二段に記載されているが、それは亡永山からの指示により分けて記載しただけである。このように、会社貸しもまた亡永山の中村に対する貸付金であり、会社貸しについても利息は個人貸し同様に月二分五厘と定め、原資の借り入れ先である日本鍍研に対して支払うべき利息は月一分二厘であつたので、その差額月一分三厘は亡永山個人の自由になる金員であり、亡永山が自分の手元に置いた。

会社貸しの、本件処分が関係する期間中の貸付日及び貸付金額は、昭和五〇年一一月一日に二〇〇〇万円(そのうち一〇〇〇万円は同五一年九月二九日に弁済)、同五〇年一一月二九日に一〇〇〇万円、同五一年四月一日に二〇〇〇万円、同年五月一日に二〇〇〇万円、同年九月三〇日に一〇〇〇万円(同五〇年一一月一日の残り一〇〇〇万円及び同年一一月二九日から同五一年九月三〇日までの貸付金は同年一〇月三〇日に弁済)、同年一一月一日に六〇〇〇万円、同月一〇日に一〇〇〇万円(以上の貸付日及び貸付金額、弁済日及び弁済金額については前記のとおり明らかに争いがない。)であり、そのほか同五二年二月一日に一〇〇〇万円である(右の昭和五二年二月一日の一〇〇〇万円は被告が主張する金額であるところ、甲第一六号証によれば、中村に対する昭和五一年一二月以降の貸付分について、同五一年一二月一六日に三〇〇〇万円、同五二年三月三一日に一〇〇〇万円貸し付け、同五二年一月二五日、同年二月二五日、同年四月三〇日に各一〇〇〇万円ずつ弁済を受けた旨の記載があるが、前記の乙第三号証の二には、昭和五一年五月から昭和五二年一月までの中村に対する貸付金の各月の残額が九〇〇〇万円であつて同年二月以降は一億円の記載になつており、原告本人も同旨の供述をしていることが認められること及び本件受取利息の算定基準額が昭和五一年五月から同五二年一月までは九〇〇〇万円であつて同年二月は一億円であることについては当事者間に争いがないことを併せて、中村に対し昭和五二年二月一日の時点で一〇〇〇万円の貸付けが新たにされたものと認めるのが相当であり、甲第一六号証の右記載部分は採用できない。)。

結局、中村に対する個人貸し、会社貸しの貸付金の貸付日、貸付金額及び弁済日、弁済金額は裁判所別表(一)の貸付・弁済表のとおりとなる。

(三) そして本件貸付金については、亡永山と中村との間では何ら消費貸借契約書も作成せず、本件受取利息の授受に関しても領収書は作成しなかつた。また、本件受取利息及び本件支払利息の計算は、各月の貸付金元本の残額に所定の利率を掛ける方式であつて、厳密な日割り計算は行つていないのがほとんどである。

そして亡永山は、中村から裁判所別表(二)のとおり昭和五一年一月ないし一〇月、同五二年三月ないし一二月分の本件受取利息を受け取り、日本鍍研に対し本件支払利息を支払つた(以上の金額については争いがない。なお、昭和五一年一一月、一二月、同五二年一月、二月について、亡永山が本件受取利息を受け取つたと認めるに足りる証拠はない。被告は、右の点について、会社貸しに対する利息が支払われている以上亡永山が本件受取利息を受け取つたものであると主張するが、中村の営業が不安定であることからすると利息の支払いが滞ることは充分考えられるから、被告の主張は推測の域を出ない。)。

(四) 以上のとおり認定されるところ、原告らは、本件受取利息は利息ではなく、性質を定めずに授受した「預り金」であつて、その中から適宜個人貸しの元本、会社貸しに対する支払利息、亡永山の中村に対する弁護士手数料、及び尾瀬に対するお礼を支払うべきものであつたと主張し、甲第一七号証の一、第一八号証及び原告本人尋問中にはこれに添う記載及び供述もあるが、中村はこれを亡永山に対する利息であると認識していたこと、毎月、元本に対し一定の割合で算出していること、その割合は消費貸借契約の両当事者たる亡永山と中村との間で中村の返済資力を検討の上決定していること、数千万円単位の金員を単なる個人的情宜から無利息で貸し付けるとは通常考えられないこと等から、本件受取利息は、本件貸付金の利息として亡永山が中村から受け取つた利息であると認めるのが相当である。

2  雑所得の具体額について

前記1の認定を前提として、本件受取利息は利息制限法による制限超過の利息であることから、雑所得としていくらを計上すべきであるかを検討する。

(一) 一般に、違法な法律関係にかかる収入であつても、課税の対象となるべき経済上の実質を備えれば、所得税法上の所得を構成する。利息制限法による制限超過の利息・損害金の支払いがなされても、その支払いは弁済の効力を生ぜず、制限超過部分は、民法四九一条により残存元本に充当されるべきものである(最判昭和三九年一一月一八日民集一八巻九号一八六八頁)が、当事者間において約定の利息・損害金として授受され、貸主において当該制限超過部分が元本に充当されたものとして処理することなく、依然として従前どおりの元本が残存するものとして取り扱つている以上、制限超過部分をも含めて、現実に収受された約定の利息・損害金の全部が貸主の所得として課税の対象となるものというべきである(最判昭和四六年一一月九日民集二五巻八号一一二〇頁)。

しかし、これは既収利息の場合であり、未収利息の場合には、利息制限法による制限超過部分は無効であるから所得税法三六条一項の収入すべき金額にあたらないと解すべきであり、法定の制限内の部分のみが課税の対象となるべき所得にあたる。そして、既に制限超過の利息・損害金の支払いがなされているときは、法律上元本に充当されるから、その残額についてのみ利息・損害金を生ずることとなるのであり、法定の制限内かどうかは右の法律上有効に残存する元本を基準として算定されなければならない(右判例。)。

(二) そこで、本件については、昭和五〇年七月から同五一年一〇月までは(同五〇年中は本訴対象外である。)本件受取利息が授受されているが、同五一年一一月から同五二年二月までは授受されておらず、同年三月以降は再び授受されているので、右授受されている月についてはその金額が亡永山の雑所得にかかる収入であり、その月に日本鍍研に対して支払つた本件支払利息は雑所得にかかる必要経費と認められるので、その差額が亡永山の雑所得であり、授受されていない昭和五一年一一月から同五二年二月分については同五〇年一〇月までの本件受取利息の利息制限法による制限超過部分を元本に充当した残額を元本として法定の制限内で計算(なお、本件受取利息の受取日は毎月末日とした。)した利息が亡永山の雑所得にかかる収入であり、他の月と同様に日本鍍研に対する本件支払利息が亡永山の雑所得にかかる必要経費であり、その差額が亡永山の雑所得となる。

(三) 以上により亡永山の本件受取利息にかかる雑所得を計算すると、その収受月分については、昭和五一年一月から同年一〇月まで及び同五二年三月から同年一二月まで、裁判所別表(二)雑所得計算書の右各月分(同各月の受取利息と支払利息との差額)のとおりとなり、未収受月分については、昭和五一年一一月から同五二年二月まで、裁判所別表(三)の(4)雑所得計算書(裁判所別表(三)の(1)元本充当計算書の法定利息超過分を元本に充当した残元本について同(三)の(2)未収利息計算書及び同(三)の(3)支払利息計算書のとおり計算した未収利息と支払利息との差額)のとおりとなる(前記裁判所別表(二)の昭和五一年一一月から同五二年二月までの記載分)ので、結局前記裁判所別表(二)のとおり、昭和五一年が合計一二五五万五四六七円、同五二年が合計一四六〇万七三七六円となる。

(結論)

以上のとおりであるから、亡永山の昭和五一年、五二年分の総所得金額は、昭和五一年分は二八四七万二二六七円(事業所得一二一九万四〇〇〇円、給与所得三七二万二八〇〇円、雑所得一二五五万五四六七円)、同五二年分は二二九六万四九二四円(事業所得四九〇万二一〇〇円、給与所得三四五万五四四八円、雑所得一四六〇万七三七六円)となり、この範囲内である昭和五一年二七三一万六八〇〇円、同五二年分二〇六七万七五四八円を原告の各年分の総所得金額とした本件更正処分は適法であり、亡永山は各年分の所得税を過少に申告していたから、昭和五六年当時の通則法六五条一項に基づき、本件更正処分により納付すべき税額として昭和五一年分五九七万六〇〇〇円、同五二年分四四九万七〇〇〇円(同法一一八条三項により一〇〇〇円未満切り捨て)に一〇〇万の五を乗じて計算した同五一年分二九万八八〇〇円、同五二年分二二万四八〇〇円(同法一一九条四項により一〇〇円未満切り捨て)の過少申告加算税の賦課決定を行つた本件賦課決定処分は適法である。

三  再抗弁について

1  再抗弁1については、原告らは、中村から受け取つた金員から昭和五一年末と昭和五二年一〇月の二回、各一〇〇〇万円を個人貸しの元本に充当して個人貸しを終了させた旨主張し、原告本人尋問中にはそれに添う供述もあるが、甲第八、一六、三二号証、乙第三号証の二、第四号証の二、第七号証の一、二、第一一、一五号証、証人中塚五郎の証言、原告本人尋問の結果によれば、本件受取利息は右原告ら主張の元本充当を行わない額を基準として算出されていること、日本鍍研の帳簿上も会社貸しに対する充当計算がなされているのは、昭和五二年一〇月の中村に対する東京国税局の調査、昭和五三年春以降の亡永山に対する市川税務署の調査及び日本鍍研に対する日本橋税務署の調査の始まつた後である昭和五三年一〇月三一日に、亡永山が日本鍍研の代表者として中村との間で次の約定書、即ち中村は会社貸し八〇〇〇万円につき昭和五二年一一月以降日本鍍研に対し月二〇〇万円ずつ支払つているが、今後もそれを継続すること、その時点までに支払いずみの本件受取利息のうちから八〇〇〇万円の元本に一二四八万円を充当して六七五二万円とする旨を約した書面を作成したとき及び同五四年一〇月三一日に、右六七五二万円につき一四二七万七一二〇円を充当して五三二四万二八八〇円としたとき(本件処分に関係する以後の時期に中村に貸し付けられた金員と従前の貸付金が合計して記載されている。甲第一六号証)であり、右いずれの時も中村は亡永山からの指示により同人の帳簿上充当処理を行つていること(乙第四号証の二、第七号証の一、二)、中村の帳簿上昭和五四年五月二一日に別の債権と相殺されるまで個人貸しの元本二〇〇〇万円が記載されていること(乙第四号証の二、第七号証の一)、亡永山は税務署の調査を受けた際に、顧問税理士の松原を通じて、法定利息以外の金員の元本充当を認めてくれるのであれば、個人貸しについては本件受取利息を自己の雑所得として認めるとの申立てを行い、亡永山自身も元本充当はしていないことを前提としていたことが認められるのであるから、原告本人の前記供述は措信しがたく、他に原告らの前記主張を認めるに足りる証拠はないことになる。したがつて、個人貸しの元本充当の事実は認められないので、それにかかる主張は理由がなく、また、本件受取利息を中村に対する貸付金についての利息として取得した以上、亡永山がこれを自由に使えることは当然であつて、同人が中村から受任した訴訟事件の手数料に充当することを含めその後いかなる用途に充てようとも本件受取利息の性質が変わるものではないから、その余の主張は失当である。

2  同2については、前記のとおり、利息制限法による制限超過の利息であつても、既に利息として授受している以上、所得税法上は雑所得として認められるものであるから、原告らの主張は失当である。

以上のとおり原告らの再抗弁はいずれも理由がない。

4 結び

以上のとおり、原告の請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担については行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 上村多平 裁判官 難波孝一 裁判官 櫻井佐英)

裁判所別表(一)

貸付弁済表

〈省略〉

裁判所別表(二)

雑所得計算書

〈省略〉

裁判所別表(三)

(1) 元本充当計算書

〈省略〉

(2) 未収利息(年15% 日割計算 365日)計算書

〈省略〉

(3) 支払利息(残元本額×0.012)計算書

〈省略〉

(3) 雑所得計算書(昭和51.11~昭和52.2まで)

〈省略〉

(注) 以上の計算では、少数点以下は四捨五入。

原告ら別表(一) 預り金一覧表(51年分)

〈省略〉

原告ら別表(二) 預り金一覧表(52年分)

〈省略〉

原告ら別表(三)

元本充当表

〈省略〉

被告別表(一)

昭和51年

〈省略〉

被告別表(二)

昭和52年

〈省略〉

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